時は平安。これは都が移されてから多くの季節を数えた頃の話。
荒ぶる魂(たま)を鎮める女がいたそうだ。

 

『夢現(ゆめうつつ) 鬼魅の慈愛に』

 

闇に包まれた山道を歩く影が二つ。月明かりも頼りないこの夜、まるで見通しの良いかのように迷いなく脚を進めていた。
一人は腰ほどまでの髪をゆるく結い上げ、深紅に染めた丈の短い着物をまとった女だ。動きやすい作りらしく、白い脚を惜しげもなくさらしている。その出で立ちから姫ではないとわかる上に、このような夜更けに出歩いていることから、邸(やしき)育ちの貴族でもないようだ。しかし、髪を触るなどの彼女の些細(ささい)な所作は、美しく繊細なものだった。
「……主(あるじ)、都の方角に……妖(あやかし)の気配が」
隣を歩く男が不意に口を開いた。鋭くとがった眼を空に向け、唸(うな)るような声を出す彼は異様に背が高く、その額には二対の角があった――……まるで、“人”ではないような。男には独特の妖しげな雰囲気が漂っていた。
「またなの。今夜はやけに多いのね……空気も騒いでる。大物でも現れてざわついてるのかしら?」
「主、足がふらついている。主が倒れてしまっては元も子もないだろう……頼むから無理をするなといつも言っている」
異国の着物を翻(ひるがえ)し振り返った男に、女は大丈夫と微笑んだ。
「私がいかなければ……。調伏(ちょうふく)なんてできる人はそういるものではないわ。それに、私が力尽きた方があなたには都合がいいのではない?なんて、ね。そんなに睨まないでちょうだい、冗談なのだから」
顔色の悪い女に、男は睨(にら)むように目を据えた。怒気を孕んだそれには女は怯まない。
むしろ冗談と言いつつも、男の視線を真っ直ぐに視線を受け止めていた。
「我は主のもとへ下(くだ)った。我は今主のために在る。……遠い昔のように、自由を求めその尊い御魂(みたま)を狩ろうなどと思いはしない」
自身の咎(とが)を苦々しく口にしたあと黙ってしまった男に、女は優しく「ごめんなさい」と笑った。
「藤寅(ふじとら)。あなたのような優しい鬼もいるのにね。ごめんなさい、私はあなたをこの手につなぎとめることで――……あなたに同族殺しをさせている。こんなにも優しいあなたに……」
その一瞬だけ、ひどくつらそうな顔をした女の細い体を、男は何も言わず軽がると抱き上げた。女は不思議そうにじっと見上げたが、男は特に気にした様子もなく、前を向いたまま走り出す。風を切り木々を揺らし、それは人外の速さであった。
「まだ気配は遠い、我の足なら夜明けには追いつくだろう。それまで主は休んでいろ。……我ら妖は皆個人主義者ばかりなのだ。そのように主が気に病むようなことは何一つ無い。わかっただろう、さぁ、少し眠るといい」
ついでのような慰めに、女はくすぐったそうに笑ってから素直に目を閉じた。
「妖を調伏するために、術だけでなく妖を遣う……これを“毒をもって毒を制す”、と言うのかしら。おかしなことだとは思っているわ……。だけど、今の私には、私の力ではどうしてもあなたが必要なのよ。本当に、ごめんなさいね」
小さく口を動かす女を見ることもなく男は黙っている。返事がないことなど珍しくもないのだろう、女はただ微笑んでいた。
「それと、藤寅……?私のことは名で呼びなさいといつも言っているでしょう……」
最後が寝息に溶けていったのに気付き、ようやくその顔を見下ろすと、やはり女は眠りに落ちていた。男はそっと息をつき、もう一度前を見た。早く進んだ方が良いのだが、少しでも休ませるためにとやや速度を落とす。
「主はいつも無茶をする……。我は、お前に生きてほしいのだ……鈴葉(すずは)……」
小柄な体を抱きしめるようにした男の――……鬼の、その異色に輝く瞳は、とても愛おしそうに細められていた。

 

夢現の女にはその言葉が届くはずも無く
また、鬼魅の慈愛に許しを与える者もいないのだ。

 

女の身体(からだ)が朽ち果てるまで、鬼はその想いと共に生き続ける。

 

fin
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小難しい題名シリーズ、その実内容はまったく関係ないシリーズ第三弾(オイ
今度は国籍がはっきりしてて沙久としては安心して読めます…が。
これ結構難しい感じになっちゃってますね;;

*夢現……夢か現実か区別しがたいこと。うとうとしてる感じ。
*鬼魅……鬼や妖怪のこと。
*慈愛……慈(いつく)しみ愛すること。
*妖……妖怪。
*調伏……敵を降伏させること。ここでは妖怪を倒す意味で使っています。
*御魂……あなたの魂。

注釈多すぎてすいません;;

 

(2011/2/13 加筆修正)
沙久