『temperature sharer 〜ぬくもり〜』
もう、秋だな。
鮮やかに染まり始めた紅葉(もみじ)のトンネルの中程で、不意にそう思った。顔をあげて赤に包まれた空を見れば、コートの襟に隠れていた頬が北風にさらされ、痛いほどの冷たさに身をすくめる。わたしは足を止めた。吐く息がほんのり白くなっていたことに、どうして今まで気づかなかったんだろう。
「……ユキノ? ユキノだよね」
穏やかな声がした方へゆっくりと視線を向ける。いつの間に隣にいたのか、道の真ん中で立ち止まっている変な女に、その人は笑いかけていた。あぁ、懐かしい表情だ。女性のような線の細さ、眼鏡越しに見てようやくその鋭さが隠れる黒い瞳、わたしの名前を呼ぶ優しい声音。
「うん、ユキノだよ。久しぶりだねキヨハル」
半端な間を置いて愛しい元恋人に緩く微笑む。いつも人とタイミングが合わないわたしのことをよく知っているキヨハルは、同じように微笑んでくれた。
「髪切ったんだね。それになんだか痩せた」
「ふふ、女の子は恋人と別れると髪を切るものだよ。ショートヘアも可愛いでしょ」
お互いに地元が同じなのだから、会おうと思えばいつでも会えただろう。ただ特に連絡を取ろうとせず、自分たちの生活に懸命だったからか、卒業してから今この偶然が起こるまで、一度も顔を合わせていなかった。
よく友達に「何を見てるのかわからない」と言われていた目でぼんやりとキヨハルを眺める。何一つ変わりはしないわたしの前に立つキヨハルは、細身のままでぐんと背が伸びたようだ。当たり前かもしれない。わたしたちが二人でこの赤色を踏みしめて歩いたときは、まだ幼い中学生だったのだ。相手のことが好きで、愛しくて、すべてだった。
大好きなキヨハル。
「こんなに短くして、次は坊主になるつもり?」
くすくすと笑うキヨハルの冷えた指が、首筋にかかる毛先に触れる。くすぐったいと逃げるとそのまま頬を撫でられた。キヨハルは昔もそうするのが好きだった。
「その時に考えようかな」
わたしもキヨハルの白い頬に手を伸ばす。わたしの指の方が少しだけ冷たかった。
「……やっぱり痩せたな、ユキノ。体は大丈夫?」
そんなことを言うキヨハルこそ顔色が悪い。わたしが色んなことに挫(くじ)けて立ち止まっているように、キヨハルも歩き出せずにいるのかもしれない。なんとなくだが、そう思った。
時々、キヨハルの笑みはすごく綺麗に見える。綺麗で、だから儚くて、いつかわたしのゆっくりとした動作では追いつけない速さで、ゆらりと消えてしまいそうだった。
ああ、大好きなキヨハル。
「キヨハル、ねぇ、キヨハル」
「うん」
わたしはどこか遠くを見るように、昔は同じ高さにあった、きつく光る目を見上げた。
「キヨハルは、ちゃんと生きてる?」
それは、ただそこに零れ落ちた言葉。不安や疑念、感情と呼べるものが伴わないただのコトバだった。キヨハルは眉をしかめたりせず、ただ静かに笑った。とても自然な動きだった。
「……うん」
キヨハルの唇から白い吐息が細く広がり、消える。
「死んではないよ」
キヨハルは、わたしの存在を確かめるように、もう一度頬を撫でてくれた。そのすぐ横を紅葉の葉が一枚落ちていった。強く吹き付ける風がわたしの長い前髪を流し、イビツな眉が空気に触れた。
「わたしも、死んではない」
そう言うと、キヨハルがまた笑った。ひどく穏やかで優しい顔。その目に、わたしが映っている。それだけで、わたしはここにいるんだという確信となった。
「ユキノ、君は」
冷えきったキヨハルの指が離れていく。わたしも同じようにキヨハルから手を離した。
「君は、僕たちが正反対だと言ったよね」
そんなことを良く覚えていたものだ、と思う。今よりもずっと、身長も胸も知識も無かったわたしは、確かにそんなコトバを言った。文化祭でも、修学旅行でも、卒業式でもないただの平日の午後。教室でイチゴジュースを飲みながら言った。
雪乃と、清春。
冬と春だから、正反対ね。そう言うとキヨハルは、少し考えてから、そうだねと答えた。その一ヵ月後、わたしたちは別れた。何が不満だったわけでもない。それは不自然なくらい、自然な別れだった。わたしの冷えきった手と、君の凍えた手。
今はこの温度だけが本物だった。
fin
たくさんの感謝を込めて、この作品をN氏に捧ぐ。
(2011/5/29 加筆修正)