手の中の細長くてくしゃくしゃの紙を見つめる。
 どうして自分は、まだこんなものを持っているのだろうか。
 何を期待して、今日この日にこんなものを持っているのだろうか。

 

『織姫様の隠し事』

 

「あれー、吉藤(よしふじ)じゃね? 久しぶりー」
 名前を呼ばれハッとすると、目の前には見慣れない私服姿の元クラスメイトがいた。といっても通う学校が々だったことはない。由利子と彼、飯橋(いいはし)は、高校三年生という一年間を同じ塾で過ごしたのだ。二人とも見事志望校に合格し、そのまま卒業してからは会うのが今日初めてだ。一年と半年ぶりだろうか。いつも制服のままだった飯橋の私服は、だらしなくなる一歩手前まで着崩したといった感じのラフなものだった。
「飯橋……偶然だね。こんな時間にどうしたの? そっちも大学帰り?」
「まぁな。ってか吉藤も? この暗さだぜ、女の子一人で歩くもんじゃないって。なんなら俺が送っちゃる」
 相変わらずの軽さでニカッと笑った飯橋は、立ち止まってんなと言いながら由利子の腕を引っ張った。渋々といったように歩きだす。かつてもよくこうして送られたものだ。彼は今でも私の家を覚えているのだろうかと、由利子はぼんやり考えた。
 にぎやかな街を二人で並んで歩く。しばらくいけばすぐに住宅街に入り、角を曲がれば由利子の家だ。掴まれたままの腕を何度も気にしている由利子に気づかないまま、飯橋は空を指差した。
「しっかしなー吉藤。今日七夕だろ? こんな日に超偶然な再開とかさ、俺ら織姫と彦星みたいじゃねーの」
 由利子の顔がカッと熱を持つ。微笑みかけてきた飯橋から目をそらし眉を寄せた。こういう表情しかできないのは昔からだ。かわいく笑い返すなんてこと、できたためしがない。飯橋は必死で顔をそむける由利子に苦笑いをした。
「悪い悪い、織姫。俺が彦星じゃちょーっとカッコよすぎるよな。って、吉藤にはもっといい奴がいるか」
「そんな、こと……」
「あ、そういや吉藤、三年の時の七夕覚えてる? 塾でやったやつ」
 うまく否定もできずに口ごもる由利子にかぶせるように、飯橋は早口に言った。三年の七夕。講師が息抜きにと提案し小さな笹にみんなで短冊をつけたちょっとしたイベントだった。忘れるはずもない。今だって由利子は――……。
「あん時ほとんどの奴が合格!! ……って書いてたけどさ。吉藤だけ何書いたか見せてくれなかった上に、笹につけなかっただろ? 結局なんだったんだよあれ、ずっと気になってたんだぜ」
 由利子は足を止めた。一緒に少し、息も止まっていたかもしれない。くんと引っ張られる形になり同じように立ち止まった飯橋が、不思議そうにこちらを振り返った。もう由利子の家はすぐ近くだった。
「……ここでいい」
「は? 何、もうすぐ……」
「いいから。これあげる、ばいばい」
「え、ちょ吉藤?!」
 由利子はカバンの中からしわだらけの紙切れを取り出すと、飯橋の手に押し付け走り出した。戸惑う飯橋が思わず手を伸ばした時にはもう、由利子は門扉に指をかけていた。飯橋は迷ってから手の中に視線を落とし、そして、勢いよく地面をけった。古くなった短冊を握りしめ、走った。
「おいこら吉藤!! 言い逃げなんて、いや言ってねぇな、渡し逃げなんて許さねぇぞ……っ」
「ウチの前で叫ばないでよ、離してばか!! 近所迷惑っ」
 さっきよりも強く腕を掴まれ振りほどけず、由利子は泣きそうな顔で飯橋を見上げた。彼の顔もまた、由利子と同じくらい赤かった。
「俺の片思いじゃなかったのかよ……お前、この頃から俺のこと愛しちゃってたの?」
「……もっと前から、だし……何、片思いって」
 飯橋は目を泳がせてから、がばりと由利子を抱きしめた。んむぐ、と由利子が奇妙な声を上げた。
「俺だってこれより前から好きだったっつの、ばーか」

 

彦星の手に握られた飾られることのなかったいつかの短冊には、ただ一言。

 

“いいはしが、すき。”

 

願い事でも何でもない、ただ切なさがある隠し事は、もう織姫だけのものではなくなった。

 

fin
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初めてかな?七夕小話ー!!ラストを言い逃げ…渡し逃げにするかくっつけるかすっごく悩みました!!
ここまで砕けた口調の男の子はちょっと珍しい?そして吉藤ちゃんがしゃべらねー(笑)
捨てるに捨てられなくて、七夕の朝、どうしても気になってカバンに入れてたんですよ、短冊。きっとそうなんだ(え?
この二人ってなんかまた書きたいな。

 

(2011/9/7 加筆修正・改題)
沙久