『俺の彼女様。』

 

「……は?」
『だから、ごめんて周(あまね)』  受話器越しの申し訳なさそうな声。俺は気持ちを落ち着かせるために、一度大きなため息をついた。まずは、まずは聞こうじゃないか。
「予定わかったら教えろっつたじぇねぇか……どっか、でかようって」
 つきあって三年目になる俺の彼女――……麻衣子はいつもそうだ。俺との約束を大して重要に考えていない。それどころか……
『だって後輩と約束しちゃったんだよ。その日しか空いてないみたいだったし、私、前にこっちの都合で誘い断ったばっかだったしさ。申し訳ないじゃない?』
 そう、優先順位。それが間違っている。友情を大切にしていると言えば聞こえは良いが、彼氏をほったらかしというのはどうなんだ。俺にはどうにもそれが納得がいかない。もうちょっと、あるだろ、なんかさ。
『周、本当にごめんね。今度どこか行こう』
 そうは言っても滅多に自分からメールを寄こさない麻衣子に、わかったと返事をしてから、聞こえるようにもう一度ため息をついてやって電話を切った。
 ケータイ電話をベッドの上に放り投げ、自分も隣に倒れこむ。
つきあって三年。三年前、告白された。
「……なのになんでこんなに愛情が薄いかなー」
 連絡はいつもこっちから。買い物に行けば商品棚しか見ちゃいない。俺と一緒にいるってのに。とりあえず、「今何してる?」ってメールに「何か用なの?」と返信してくるのをやめてほしいと思う。そりゃないだろって。
 多分彼女は謝ってはいてもあまりわかっていないんだ。俺が毎回結構凹んでるって事。
 これじゃ友達とかわんねぇな、と思ってから苦笑いがもれる。
(むしろ友達だった頃のほうが積極的だったっつの……アイツ)
 そのままちょっとだけ、本当にちょっと、自分の言葉に傷ついた。

 

***

 

 あの電話から一週間後、俺がここに立ってから三十分後。
 待ち合わせ場所に麻衣子が来ない。
「周―っごめん遅れたっ!!」
 来たか、この遅刻常習犯め。今日はなんだ。寝坊か。前に待ち合わせ時間まで寝こけてたこと忘れちゃいないからな。
「おせーよ」 「ごめんごめん、駅探に書いてある時間以内に歩けなくてさ……予定の電車に乗り遅れちゃって。それから、乗り換えに手間取った。慣れない線に乗るといつもこうなんだ」
 心配性の家族に囲まれて育ったからか、麻衣子は遠出慣れしていない。初めて一人で電車に乗ったのが中学生んときだって言ってたかな。それも友達に会いに、一駅だけ。帰りにはどの電車に乗っていいのかわからずに、涙声で別れたばかりの友達に電話したって話だ。もはや伝説。放っとくとどこに行くかわからない危なっかしい彼女の武勇伝を聞くたび、いっそのこと麻衣子の家の最寄り駅まで迎えに行くべきだろうかとさえ思わせられる。今日だって、待ち合わせの駅は目的地からして決して中間地点ではない。俺なりの気づかいだ。
「ごめんね。行こう?」
「……おう」
 腹が立つのも確かだが、そうやって無自覚に……そーいう表情をしないでほしいもんだ。
 許してしまう自分がなんとなくムカつくから。

 

「麻衣子?」
 何駅か乗り越して、ようやく駅を出て歩き始めたときだった。麻衣子がピタリと足を止めたのだ。さっきまで慣れない人ごみにフラフラしていたのに、今はその目が何かを熱心に捕らえている。こういうときの彼女は良くない。良いことだと言ってやりたいけど、良くない兆候なんだ。
「周……ね、ちょっとここ寄ってっちゃダメ?」
「ここ……って」
 あぁ、やっぱり。大変なものに捕まった。なんてこった。
 目の前には、彼女の大好きな大型書店がそびえたっている。これに出会ってしまっては、しばらく会話はできないだろう。ほら、麻衣子の目が爛々と輝いちゃってる。
「………」
「………」
「………行きたい?」
「行きたい!」
 あーあ、生き生きしてくれちゃって。結局俺はその目に負けるんだ。

 

「長かったな……」
 店内に入って即御自分の世界にどっぷり入り込んだ麻衣子は、俺が傍にいようと離れて雑誌をパラパラと読んでいようとお構い無しに、夢中で漫画や小説を探し回って歩いた。財布と本棚を何度も見比べながらあっちを手に取りこっちを手に取り、その長いこと。
「近所に大きな本屋さんがないからさ、こーいうとこくるとテンションあがっちゃうんだよー」
 嬉しそうに紙袋(……え、紙袋に入れられるほど買ったわけ?)を抱えた麻衣子と俺が店を出た頃には、俺のデートプラン前半戦は崩れかかっていた。そんだけ長かったってこと。ひどいもんだ。
(俺と会ってることにテンションあげろよ……)
 っていうか彼氏の前でホモ漫画買うな。前からちょっと言いたかったんだけど。
「寄ってくれてありがと、周! いっつも行くとこじゃ絶対手に入らないんだよこの本」
 本当に嬉しい、といった様子で頬を緩める麻衣子。
「……そんなに嬉しかったのか?」
「うん!」
 背が低い麻衣子が俺を見上げてふにゃりと笑った。ホントありがとうと繰り返し、スキップでもしそうな足取りが、なんだか小さい子供みたいだ。
「……せこい」
「ん? 何が」
 なんでもないよとクセ毛の髪をくしゃりとなでてやりながら、俺は赤い頬を左手で撫でた。
 幸せそうな笑顔一つで何でも許させてしまう、その得な性格がせこいんだよ。
 

 

 まだまだ勝ち目がなさそうな彼女様に、もうしばらくは何もいえそうにない。

 

fin
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お久しぶりの短編。うん、洒落にならんのよ正直←
なんかこの話だけだといたたまれないので、彼女様目線も書くつもりです……。いたたまれない。
彼女様は趣味に生きてらっしゃいますね。うん、共感できるヨ。
「男の子と買い物するときはまず店に入ってもらうことがすでに妥協してもらってるのよ」と最近母に諭された沙久ですから。
がんばってくれ彼氏君。ちゃんと彼女様は君が好き。
好きだった。

 

(2011/5/22 加筆修正)
沙久