なんだかんだ言って、お前が大切だから。だからそばにいるのに。
オカンとか言うなよ。

 

『エプロンと大根と思い出した頃に時々オカン。』

 

小さなアパートの一室。俺は自分が住んでいる201号室の隣の部屋の鍵をその鍵穴に差し込んだ。カチャリ、とこ気味のいい音がする。滑りがいいとはいえない、慣れた感触だった。
「……あ、圭介じゃん。今朝ぶりー?」
扉を開けると、住人である幼なじみが、突然の訪問に驚くこともなく手招きまでしていた。
――……ここまでなら、結構いい感じの二人に見えなくもなかっただろう。
「なつみ……お前な、部屋を片付けろと何度言ったらわかる!!
シンクの中にたまった洗い物も、床に散らばった服も、机の上に積み上げられた本も、許せないくらいに汚い。それなのに当の本人は「いーじゃないの」とあくびをしているなんて……。女としてどうっていう前に、人としてもう少し生活環境をどうにかしようと思ってほしいもんだ。
「だっていつも圭介がやってくれるし」
重い重い、ため息が出た。

俺となつみは、幼稚園から高校まで同じとこに通ってた隣人同士だ。いわば腐れ縁というやつだろう。さすがに大学は別だが、結局互いの学校が近いもんだから、せっかく一人暮らしを始めたってのに再び隣人となってしまっている。
(俺はアパートまで一緒にする気はなかったのに…)
“圭介君、なつみをお願いね…”
真剣な顔で頼んできた彼女の母親の顔を思い出す。あれにはもう「ハイ」としか言いようがなかった。何がそこまで俺を信用する要因となったのか……。
小学生ん時勉強みてやったことか。中学ん時勉強みてやったことか。高校ん時勉強みてやったことか。
はたまた、全部か。
何でもいいが、いつか嫁にだされやしないか本気で怖い。そこまでは面倒みきれないうえに、そういう関係となることが想像できない。

「圭介、何持ってんの……それ、大根?」
指でこめかみをぐりぐりやってると(もちろん頭痛対策だ)なつみがきょとんとして聞いてきた。
「ん?ああ……お前ほっとくとまともなもん食わねぇからな。晩飯作りに来てやったんだよ。好きだろ? 大根」
持参した大根と黒のエプロンを目の高さまで上げると、なつみは妙にまじめな顔して俺を見てきた。
「圭介……」
「……んだよ」
いつもより真剣な感じに、少し緊張して答えると――……
あんたは私のオカンか?
ばかやろうそれは俺が聞きてぇよ
世話してもらっといてなんっつー言い草だ。お前ある意味俺がいねぇと生活できないくせに。
色気もへったくれもない、幼なじみゆえのくだけた雰囲気にも慣れたもんだ。それどころか今日みたいにコイツがキャミソール一枚でいたって、短パンをはいて惜しげもなく足をさらしてたって、目の前でだらしなく寝転がられてたって。俺は至って平気なのである。
(……それでいいのか俺。逆に問題なんじゃないか)
俺の初々しいトキメキ(キモイ)を返せ、この女。
「ったく、たまには感謝されたっていいくらいだ……」
もう何度目かわからないため息を吐き出すと、なつみがむくりと起き上がった。
「じゃあさー、今日は私が作ったげる。圭介は座っててよ」
「お前がそんな奇跡を起こせるなら最初からつくりになんてこない」
「黙ればいいと思うよオカン」
誰がオカンだ。いや、やってることはオカンか。しかしオカンでいいのか俺。(←しつこい)
いーからいーからと包丁を取り出すなつみ。っつーかその手つきさえ危うい。
「ほら大根貸して!」
「ぅわ、ばかやろ!包丁むけんな死ぬ!!」
大げさだって?はは……っ。本気だっつの。
「振り回すなボケ!ああ、もう……っ貸せ!!」
さすがにイラッときて、包丁を持つ手をぐいと掴む。それは思ったよりも簡単に動きを止めた。
「ぃ……ったい……!力入れすぎ……っ」
眉をしかめながら言われ、ハッとなる。慌てて手を離すと、もう腕を振り回したりしなかった。微妙な沈黙が流れる。
「……」
不思議だ。コイツの手首って、こんなに細かっただろうか? 俺が掴んだくらいで痛がるほどやわだっただろうか…?マジマジと見ていると、なつみが怒ったように見上げていた。
「…圭介さぁ、もう昔と違って手だって大きいし力強いんだから手加減くらいしてよね!」
腰に手を当ててしかるように言われたのには腹が立つが、なんとなく付き合いの長さを実感した。小さい頃と同じように思いっきり握ってはいけないのだ。
(そっか、俺らもう大学生なんだよな…)
年をとるごとに男女の差は広がっていって。でも触れ合う機会は減っていくから、あまり気づけなくて。お互い同じ背丈だった頃につないでた手の感触はもうないんだと、気付かされたみたいだった。
ぼんやりと「コイツも女だったんだなあ」などと考えていると、いつの間にかなつみが俺の手からエプロンをひったくっていた。
「諦めてなかったのか……」
「何言ってんの、当たり前でしょ」
トンとぶつかった肩が急に小さく、細く見えた気がした。なんだか今の今まで忘れてた気がする。うーん、とうなっていると、横で「驚かせてやるんだから」とエプロンをつけようとしたなつみの格好に改めて気づき、その手を今度はそっと掴んだ。
「ちょっと、今度は何……」
「ひとつだけ言わせろ。その服装でエプロンをつけるな」

 

いつか、俺にもオカンでいられなく時がくるのだろうか。

 

fin
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完結!やっと短編らしい長さかも?この話だけは文字サイズで遊んでいいという自分ルールを施行しましたが(笑)
なんかもう「あんたは私のオカンか?」を言わせたいがためだけに書き始めました(オイ
もう圭介をそのまま嫁にだしていい気がするよ私…←
沙久は女の子なのでいわゆる“男のロマン”というのはよくわかりませんが、「エプロン」ですね。
ええ、わかってしまった人だけニヤニヤしちゃってください。そのうち「Yシャツ」とかチャレンジします(やめろ)

 

(2011/2/12 加筆修正)
沙久