「あっつー……溶けちまいそう、いやむしろ溶けたい……」
電気代を気にしてクーラーも入れられない小さな部屋で、俺は後ろにあった机の上の写真たてを振り返った。
なあ、あんたに会えなくなってもう3年もたつんだな。

でも俺がんばってるよ。

 

『君がいた夏、君がいない夏。』

 

セミの鳴き声がわんわんと響く登校中の道で、俺は友達の言葉をオウム返しした。
「デートについてこい? なに、ふざけてんのかお前」
「いや一応ダブルデートっていう名目で!頼むって安西(あんざい)……。もう一人、女子の方はもう頼んであるんだ。同じクラスの橘(たちばな)! な、いいんだろ?」
橘真子(まこ)は、美人だが地味でクラスでも目立たなく、相当無愛想な女だった。長い黒髪を思い出し、ふっとため息が零れる。飯塚(いいづか)は俺に彼女がいないって知ってて先に手を回しておいたんだろうが。そして突然“彼女”役を回されても自分の彼女が嘘だと気付かない人材を選んだんだろうが。複雑なことに、偶然にも俺は橘真子が好きだった。もちろん誰にも言ったことはない。
「……しゃーねぇな。かわいそうだから行ってやるか! 場所は?」
顔面ににじみでそうな喜びを必死でごまかそうとしたら、眉間にしわがよったらしい。飯塚が申し訳なさそうな顔をした。
「S市に最近できた遊園地なんだ。 悪い、でも本っ当ありがとな安西!!」
いつだって仏頂面(ぶっちょうづら)の橘が、可愛らしい遊園地で遊んでいる図がどうしても不似合いで、俺は小さく苦笑いをした。

 

***

 

(確かに似合わないとは思ったさ。でも……)
ここまで楽しくなさそうな顔でいられるとどうも空気が悪くなる。橘はいつもに増して不機嫌そうな顔をしていた。そんなに嫌なら断ればよかったのに。それとも、俺とカップルを演じるのが嫌なのか。
「……あー、んじゃオレらなんか飲み物買ってくっから! 橘と安西はそこで待っててくれよ」
気まずそうにそう言って飯塚組は売店へ歩いていった。人選間違った、とか思われてるんだろうな。なんか逆に悪いことしたかもって思う。正直俺も、今まで橘と話したことなんてたいしてなくて、どういう風に扱ったらいいかわからない。何をしたら喜ぶのか。むしろこいつ「嬉しい」っていう感情あるんだろうか…?そんな疑問さえ浮かぶ。
「……橘、つまんない? ごめんなムリにつき合わせちまって」
隣に棒立ちになってる橘の顔を見ながら言うと、意外にも彼女は首をふるふると横に振った。結われていない長い髪が揺れて俺の肩に当たった。
「ムリにじゃ、ないよ。遊園地ってあんまきたことないから来たかったし」
どこか一点を見つめながらしゃべる彼女は、まるで台本でも読んでるかのように棒読みがちにまくし立てた。
俺はそう?と短く返事を返す。
「遊園地、楽しい。でも私だけみんなと仲良くないから。どうしていいかわからないだけだよ」
ぶっきらぼうな言葉に思わず笑ってしまうと、彼女はムッとしたように俺の顔を見た。
今日初めて目があった。黒くて大きな瞳。
「笑った……」 「っくく……いや、ごめ……意外だなって。楽しいんなら、橘も笑ってみ? その方がみんなとも仲良くなれるって」
彼女の言葉を少し引用して言ってやると、ますます難しい顔をした。うん、もうなんとなくわかってきた。
お前笑おうとはしてるんだな?どうも不器用らしいけど。
俺がくすくす笑い続けていると、飯塚組が戻ってきた。

 

「ねえ、最後に2人ずつ写真撮らない?」
飯塚の彼女の提案で、俺らニセモノカップルも仲良くフレームに納まることになってしまった。
相変わらず表情が硬いままの橘の横にぎこちなく立つ。妙な間隔があいた。
「笑って笑って――……はい、チーズ!」
フラッシュがまぶしくて、俺はうまく笑えただろうかと心配になった。

 

***

 

懐かしい思い出が詰まった一枚の写真は、今でも俺の机の上。もうとっくに高校は卒業したし次の入学式も済ませた。ただ、橘の連絡先は最後まで聞けなかった。せっかく話すきっかけとなる出来事があったのに。あの後確かに前に比べて会話は増えたが、独特のテンポをつかむのに苦労しているうちに受験シーズンは容赦なくやってきて、そしたらすぐに卒業で。
結局俺には勇気がなかった。
もう一度写真を覗き込む。最後まで笑えなかった橘の仏頂面と、必死で笑おうとしてるのが丸わかりの俺がいた。
でも、この写真には写りきらなかった思い出がまだあるって、俺はちゃんと覚えてる。
帰り道、橘を家まで送ったとき。
『……安西』
初めて彼女の声で呼ばれた名前。
『楽しかった。安西で、よかった』
簡潔すぎて意味を深読みしてしまいそうな言葉と共に向けられた、唇の端を軽く持ち上げるだけの、あの小さな笑顔は

 

今でも俺の宝物だ。  

 

fin
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安西君結構好きです。彼に幸あれ。
きっといつか再会できるよ!いっそ続き書きたいよ!(え

 

(2011/2/12 加筆修正)
沙久