※あくまで人間愛です、が、男が男を好きになることには変わりありません。嫌悪感を感じる方は引き換えしてください。申し訳ない。

 

 

僕はいつまでも待っています。
あなたの帰りを、ただ待っています――……。

 

『 果たされぬ稚児(ちご)の契(ちぎ)りと』

 

「恷永(よしなが)様……起きておられますか? 桜桃(ゆすら)です」
 ひかえめなノックとともに響いたのは、か細い少年の声だった。少年の若き主(あるじ)は緩く微笑むと、入っておいでと優しく言った。
「どうしたんだ、眠れないのかい?」
 広く、殺風景な部屋の中央に置かれた椅子に、恷永は座っていた。寝台と机と窓しかないこの場所を照らすのは、わずかな月明かりばかりだ。恷永は手にしていた本を閉じ、未だに扉から首だけをのぞかせたままの桜桃に手招きをした。
 桜桃は肌の白い小柄な少年だ。濃緑の袴がその肌によく映え、似合っていた。彼は街外れで恷永と出会ってからずっと、この屋敷で働いている。恷永は身の回りのこと全てを桜桃に任せていた。
「少しでも長く、恷永様のお傍に居たいんです……」
 そっと近づいてきた桜桃の薄桃の頬を恷永の手が撫でた。桜桃のまつげがふるりと震え、暗闇にも涙をこらえていることがわかる。細い指が、すがりたいのを我慢するかのように恷永の白いシャツを掴んだ。
「そんな顔をして……桜桃、笑ってくれ。君の一番綺麗な表情を私に見せてくれないか」
 困ったような恷永に、桜桃はますます泣きそうになった。珠のような雫が今にもこぼれ落ちてしまいそうだ。
「どうしてそんなに落ち着いておられるのですか、どうして笑えなどとおっしゃるのですか、どうして―……」
 どうしてあなたは、死んでしまうのですか。その言葉だけ、淡い月の光に溶けて消えてしまいそうなほど小さかった。
「まだ死罪が下るとは決まっていないよ。明日の審判できちんと話せば分かってもらえるかもしれない」
「聞き入れてもらえるはずありません……! 恷永様は、恷永様は何も悪いことをなされていないのに……っ屋敷まで囲まれて、審判にかけられること自体がおかしいのです!!」
 桜桃が大きな声を出したことに少し驚いてから、恷永は不安げな丸い瞳を優しく覗き込んだ。ゆっくりと、桜桃、と名前を呼ぶ。
「私は死なないよ、桜桃。だけどひとつ約束してくれないか。もし私が戻ってこなかったら、その時は……」
 桜桃は目を合わせたまま首を横に振った。それでも恷永は言葉をやめない。
「その時は、新しい主の下で幸せに暮らして欲しい。私の伯父に話をつけてあるよ。いいね?」
「嫌、です……僕の主人は恷永様だけです! あの日からずっと……恷永様だけ……」
 恷永に助けられた日のことを思い出し、桜桃は身震いをした。両親を亡くし孤児となり、行くあてもなかった桜桃は、あの日街外れで追い剥ぎに襲われた。手元に残っていたわずかな金と身体を、奪われかけたのだ。恷永があの場所を通りかからなかったらと思うと今でも背筋が冷たくなる。下碑た笑みを浮かべる男に下腹部を弄(まさぐ)られた感触がまだ残っている気がして、桜桃はきつく目を閉じた。
「僕は恷永様だけのものです、他の人のところになんて行きたくない……そんな約束、させないでください」
 手探りで恷永の骨ばった大きな手を取り、自分の頬に当てた。そこはもう流れ落ちた涙で濡れていた。
「恷永様が好きです。新しく頂いた名前を呼んで下さる声が、こうやって触れられることが、好きなんです。この温もりを忘れさせないでください……すぐに、帰ってきてください」
 桜桃が再び瞳を開いた時には、その体は恷永の腕の中に納まっていた。立ち上がった恷永の背は高く、桜桃の顔は恷永の胸までしかない。心地良いリズムを刻む心臓の音が聞こえた。優しい音だった。
「きっと帰ってこよう。無事に戻ってみせよう。だから泣かないでくれ、桜桃。私の……私の心は、お前のものなのだから」
 恷永の唇が桜桃の漆黒の髪に触れる。何度も、何度も。桜桃は主人の言葉に目を見開き、淡く色づいていた頬をさらに赤らめた。恥らうように瞳をそらす桜桃の首筋に、恷永は薄く口付ける。
「また会う時には……お前を、私をくれないか」
 桜桃が息を呑んだ。小さな肩が震えた。その様子を見て、恷永はひどくつらそうな顔をする。
「お前に、こんな事を言うのは酷だったね……すまない、昔のことを思い出させてしまった」  そっと体を離そうとする恷永の腕を、桜桃が捕らえた。震える肩はそのままに切なげな瞳が見上げていた。 「僕……ずっと、いつまでだって待ってます。恷永様が、好き、だから。僕は最初から恷永様のものです……触れられたいと思うのは、あなただけ……」
 再び恷永に抱きしめられた桜桃は、その腕の中で、ひと時の幸せに涙しながら眠りについた。

 

 夜が更ける。
 月が沈み、朝が来る。
  果たされぬ契りと僕を残して、愛しいあなたは居なくなる。
 主人の消えた屋敷は、その帰りをただひとり待ち続けるには静か過ぎるほどだった。

 

fin
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誤解です誤解ですよ、これはあくまで人間愛なんです…;;
桜桃はですね、恷永が好きになったから体を許す約束をしたんです。
ちなみに一回目の「好き」は主人として、二回目の「好き」は男性としての意味です。
“桜桃”は、拾われた日に恷永が与えた名前。恷永は蘇芳(すおう)恷永といいます。
つながりがあるようで全く関係ない小難しいタイトルシリーズも第4段、今回も時代や国籍はガン無視。
稚児は「少年」、「男性の相手をする人」の意、契りは「約束」、「体を繋げること」の意。どちらも二つの意味をこめています。
どちらの“契り”も果たすことができなかった、悲しい話。

 

(2011/9/7 加筆修正)
沙久