由希が片手で持つには少しつらいボールを慎重に投げると、思ったより速いスピードで一直線に転がっていった。
それはそのまま並べられたピンを撥ね大きな音を立てた。

 

『甘い誘惑』

 

「やったー!! ねぇ見た? 見たっ? またス・ト・ラ・イ・ク!! きゃーっ」
飛び跳ねて喜ぶ様子を生暖かい目で見つめてからスコアに目を落とす。このままいくと僅差で負けてしまいそうだ。彼女がボーリングが得意だったとは、ちょっとリサーチ不足だった。
(このまま負けるのはちょっとな……)
純粋に楽しんでる由希には悪いが、運動が苦手である彼女に負けたくはないし、正直言うと負けるとも思ってなかった。“勝たせたあげる”という考えは自他共に認める負けず嫌いな俺には無いのだ。たとえ相手が愛しい愛しい彼女であっても。
「はい次、祥の番! さあ負けて来いっ」
高く結い上げた長い髪を揺らし嬉しそうに笑う由希をもう一度見る。……頬を染めて、弱々しく俺を見上げるあの顔を知っているからか、この元気いっぱいな様が逆に幼く見えた。身体をふるりと震わすあの時の表情は俺が一番好きなものだ。
仕方なく腰を上げボールの穴に指をそっと差し込む。中でしっかりと力をこめて持ち上げ構えた。狙いを定め、投げる。
――……が、ついさっきのいらない回想で気が散ったらしく、ボールは若干カーブを描きピンを1本倒しただけだった。ガーターにならなかったのが不思議なくらいだ。振り返るとニッと笑顔を向けてくる由希と目が合った。次でもう最後だ。ここで由希がまたストライクを出そうものなら俺の勝機は無くなってしまう。……それは困る。
「……由希、ちょっとちょっと」
意気揚々と前に出ようとしていた由希を手招きして呼び止める。邪気のない笑顔で振り返り、何の疑いも持たずに近づいてきた彼女に、あまり良くないタイプの笑みを向けるとぐいと顔を寄せた。
「え、祥、何なの……?」
直前まで俺の考えてることがわからなかったのか、きょとんとしていた彼女が、あと1cmだというところで驚いたように軽く目を見開いた。視線を絡ませたまま、わざとちゅっと音を立てて少し厚めの唇に触れる。本当はもっとこの柔らかさを堪能したいところだが、さすがにこの場所でそこまでするわけにはいかず顔を離した。彼女の方は相変わらず目をしっかり開けて固まってしまっている。さっきと違うのは、そのふっくらした頬が薄桃色に染まっていることくらいだ。
「……ほら、投げてこいよ?」
自分でもわざとらしいと思うくらいの笑顔で言うと、由希はしばらく口をパクパクとさせたあと、何か言いたげに俺を睨んでからくるりと背を向けた。ポニーテールが揺れた。ぎこちない動きで構える姿を腕を組んで見守る。彼女の動揺はかなりのものだったらしく、ボールはドスンと音を立てて床に落ちものの3秒でガーターとなった。振り向いた彼女は涙目で、さっきよりも真っ赤になっていた。じわじわきたらしい。
俺のところへ戻ってきた由希をにやにやと笑いながら迎えてやると、「ばか!」と胸を叩かれた。彼女は力をこめてるつもりだろうが、俺にはそれほど強く感じない。
「どうしたんだよ、急に調子悪くなったな」 わかりきっている、原因をつくったのは俺だ。こんな質問は、いつも俺の策略に絡めとられ、可愛いほど一生懸命に反応を返してくれる彼女にわざと聞いている。そう、今だって揺れる瞳を俺に向けて――……
「祥があんなこと、するから……集中できなくなったじゃないの……」
悔しさだけではなく羞恥を含んだその表情でまっすぐに見上げられギクリとなる。ちょっと、それは、反則だ。だってその顔は。
「……? 祥? 何で黙るの?」
「……いや、何でもない。行ってくる」
すっと離れてボールを手に取る。だが頭の中ではそれどころじゃなかった。

――や、だめっ祥……っ――

モヤモヤ、と形容するに相応しいものに、完全に脳内を占拠されたと言っていい。
俺があの表情から連想にしてしまったのは俺しか知らない彼女の高い声だった。
「あ……っ」
ハッと気づいたときには、ボールはすでに手を離れておりゴロゴロとのんびり転がっていた。
カコン、と間抜けな音でピンを1本ずつ倒し、最終的に3本が暗い奥まった闇に消えていった。少しだけ間をおいてゆっくり振り向くと、由希がぽかんとしている。それからスコアボードに視線を移しもう一度俺を見た。
「えーと……勝っちゃいましたけど」
笑っていいのかわからないといった顔が向けられる。俺がよっぽど不満げな表情でもしていたのだろう。
「……負けちゃいましたよ」 仕方なく息をつき降参のポーズをとってみせる。それを見てようやく彼女も笑顔をこぼした。
どうやら彼女よりも俺の方が動揺させられてしまったらしい。最も、彼女はそのつもりはちっともなかったのだろうが。

 

俺は自分が思ってる以上に彼女に惚れこんでいた事を少し照れくさく思いながら、甘い誘惑に誘われて彼女の唇にもう一度自分のそれを押し当てた。

 

fin
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友人にもらってもらった短編小説をアップ
こーいう子かくの好きだなー

 

(2011/2/12 加筆修正)
沙久