これほど微妙な関係って、あるだろうか。

 

『600hitリクエスト〜ビター・ビター・チョコレート〜』

 

「ね、今年はどうする?」
大嫌いな数学が終わり大きく伸びをしていると、クラスメイトが楽しそうに話しかけてきた。2月10日、三時間目の休み時間。
「今年? ……あぁ、バレンタインかぁ……杏子(きょうこ)は部活の先輩にあげるんでしょ」
「そうなの!! だってかっこいいじゃん和馬先輩っ」
うっとりとした表情の杏子に、支倉流香(はせくら るか)は苦笑いをもらした。 中学生にもなると、どうしても今までとは違う。相手が“異性”であることを妙に意識し始めるのか、「本命」の意味合いもリアルなものになってきた気がするのだ。
一生懸命手作りしてみたり。ラッピング一つでひどく悩んだり。
その一日のためにそわそわしだすクラスメイト達を、流香はどこかつまらなそうに見ていた。肩より少し長い髪を指に絡ませため息をつく。
(いいことばっかの日でもないのに……なんでそんなに楽しそうなんだろ)
「流香は?まさか今年も弟だけとか言わないよね……」
「言う。しかも卓哉(たくや)はチョコ〇ットでも文句言わないから安上がり。いいでしょ別にー」
がっかりという感じで肩を落とされ、流香も複雑な気持ちになった。そこまで人の恋愛を気にしなくてもいいだろう……。
「だいたい流香はもったいないよ!欲しくてもできるもんじゃない幼なじみがいて、男の子で、しかもかっこいいんだよ?なんで吉田にあげないの?! 幼なじみの特権! さりげない新密度アップ!! 最悪でもキープしとけっ!」
「……杏子、キープってあんた……」
窓際の席でそんなやり取りをしていたとき、不意に教室のドアが開いた。ざわついた室内では誰も気付くことなく談笑を続けているが、流香は入ってきた生徒と目が合ってしまった。
(……別に、嫌いとか言うんじゃないけど……あげれないよ)
微妙な沈黙の後、流香は彼から目をそらした。彼もまた何も言わず自分の席へと向かう。
「……ちょっと。いっつも思ってたけどなんであんた達そんな会話無いわけ?幼なじみなんでしょー」
彼は――……吉田隼人(よしだ はやと)は、確かに幼なじみだけどと流香はうつむいた。
家も隣だし、昔はいつも一緒にいたことも覚えてる。
「吉田のこと、嫌い?」
少し心配そうな顔でのぞきこまれ、流香は苦笑いをした。
「違うよ。……隼人が、私を嫌いなんだ」

 

***

 

『“ばれんたいんでー”は、おとこのこにちょこれーとをあげる日』。それがその頃の私の認識。
好きだとかそーいう感情はまだいまいち理解してなくて、とりあえず身近の仲がいい男の子にチョコをあげればいいと思ってた。私の場合、バレンタインを特別な日と意識するのが周りよりちょっと遅かったんだ。

「隼人ーっ隼人隼人!」
赤いランドセルを背負って、先を歩く隼人を追いかける。随分といつもより機嫌が悪いようだった。
「なんだよ、うるさいな。ついてくるなよ」
「でも流香も隼人と同じ学校だから、一緒の方向だよ?」
傷だらけの黒いランドセルを見ながら、流香は一生懸命足を動かした。時々周りを歩く友達に声をかけられては、足の速い隼人を追った。
「今日ね、ばれんたいんでーだから隼人にもチョコレートもってきたんだよ」
手提げカバンの中に手を入れて探してながら言うと、隼人はようやく足を止めて振り返った。
「……“も”って、なんだよ。また卓哉とおんなじヤツなのか」
目深にかぶった帽子で表情はよくわからない。ただ、やっぱり機嫌が悪いみたいだ。
何が言いたいのかわからずにピンクの包みを渡しあぐねていると、後ろからクラスメイトの声が聞こえてきた。
「あー隼人、今年も支倉からチョコレートもらってる!お前ら付き合ってんだろー」
笑いながら通り過ぎていく彼らに、特に他意はないだろう。だが隼人はますます機嫌を損ねたらしかった。
「隼人? チョコ……」
「いらねーよそんなもん!卓哉にでもあげてろっ」
振り払われた手をどうしていいかわからず見下ろしているうちに、隼人はさっさと歩いていってしまった。

 

その年から、隼人は流香のチョコレートを受け取らなくなった。

 

***

 

「…だから、私、あげないのに」 そういってるのに。もう何っ回も言ってるのに。流香(るか)は深くため息をついて結局買わされた包みを見つめた。
2月13日。杏子(きょうこ)に「チョコケーキの材料買うから付き合って」と言われたからついて行けば、隼人用にとやたらとチョコをすすめられ、流香は財布をのぞき見てからそばにあった包みを手にした。
「じゃ、コレ。あんまお金持ってないし……チョコにお金かけたくないし」
「……流香、あんたねぇ」
小さなそれはバレンタイン用の可愛らしいものではなく……10円で買えてしまう、誰もが食べた事があるおなじみのアレ、だ。最近は色々な味がでてるらしい。
「百歩譲って! いい? 百歩も譲んだよ?! 駄菓子をあげるにしても! 弟君にあげるチョコ〇ットより高いものにしなさいよ…! チロロだかチロリだか知んないけどそれ10円じゃん!!」
そんな事言われても言いながらレジに商品を置くと、杏子が後ろから手を伸ばしてきた。
「すいませんっこの子これも買います!」
…流香の目の前に置かれたピンク色の包みを見て――……店員さんがとまどい気味に流香を見たので…―ため息をつくと、流香はこれもお願いしますとイヤそうに口を開いたのだった。

 

***

 

“いらねーよそんなもん!”
あの日の言葉がよみがえる。あげたくても、受け取ってくれないんだ。だから何年か前にあげるのをやめてしまった。
「……なんか、前はもっと仲良かったのに……」
何が変わっただろう。身長に差ができた事か、共通の友達が減った事か、それとも性別が違う時点で仲良くすることは無理なのか。
「ねーちゃーん!! 聞いて聞いてっ」
ぼんやりとしていると、弟の卓哉(たくや)が部屋に飛び込んできた。ノックをするようにと何度も教えているのに。
「んー、何?」
「クラスのね、紗夜(さや)ちゃんが、明日ボクにチョコレート作ってきてくれるんだって! バレンタイン、だから!」
嬉しそうにはしゃぐ卓哉は、丁度あの頃の自分と同じくらいの年だ。……きっとこの子も同学年の中では意識が薄いほうなのだろうと流香は苦笑いした。
「よかったね。卓哉は紗夜ちゃんのこと好き?」
「だいすき! だからねーちゃん、隼人にーちゃんにチョコレートあげていいよ!」
…文章が、つながってない。流香は首をかしげた。どうして卓哉が紗夜ちゃんを好きなら、隼人にチョコをあげることになるんだろうか。
「えっとね、バレンタインって一人にしかあげちゃいけないんでしょ? こないだ理恵(りえ)ちゃんが言ってたんだ。ねーちゃんはボクにあげなきゃいけなかったから、にーちゃんにあげないんでしょ? でもボク今年は紗夜ちゃんがくれるからにーちゃんにあげたげて!」
にっこりと笑いかけられるが、流香はなんとも複雑な顔をした。
「……にーちゃんのこと、嫌い?」
「嫌いじゃないよ……」
正直言うと、よくわからない。好きかと聞かれれば好きだろう。でも恋愛対象ではない気がする。
……ただ、昔みたいに話せたら――……
「あら隼人君久しぶりねぇ!」
不意に、母親の声が聞こえてきた。流香の部屋は玄関に近いので、よくあることだ。
流香はドアを開け、そっと見てみた。
「ども。えっと……コレ、うちの母さんが、おすそ分けって」
りんごが大量に入った袋をぶっきらぼうに突き出した姿勢で隼人は早口で言った。顔を上げたとき、流香と目が合った。
「まぁこんなにたくさん! あ、ちょっと待っててね?こんなにいただいちゃって、うちも何か持ってってもらわなくちゃ」
のんびりとした動作で台所に引き返した母親を見送って、流香は部屋を出た。隼人の前に立つ。
「……おう、どーした?」
「……りんご。ありがとー」
互いに顔を見ないようにして話す。いつものように微妙な沈黙が流れてしまう。流香は深呼吸をしてから、そっと視線をあげた。
「今年はさ、卓哉がクラスの女の子からチョコもらうんだって」
何が言いたいのかわからないという顔の隼人を無視して、流香は続ける。
「だからボクはいいから隼人にーちゃんあげて、だってさ。どうしよっか。……いる?」
なんとなくつまらなそうな目をした隼人は、さっきよりも下を向いた。表情が、見えなくなる。
「……別に。他の奴に言われたからなんて理由でもらったって嬉かねぇよ」
なんと言ったらいいかわからずスカートの裾を握ると、台所から母親がみかんを抱えてやってきた。

 

***

 

ついに、この日がやってきた。
2月14日。放課後はそこらじゅうで告白合戦が始まっていて、校内ではそんなカップルに会わないように歩くのが大変だった。今頃杏子(きょうこ)も先輩を呼び出してるんだろうと流香(るか)は息をついた。
(結局…どうしよう。チョコは持ってきたけど、もう放課後になっちゃったし……)
別に家が近所なんだから学校じゃなくても渡しに行ける。だがわざわざ家に届けに行くと、なんだか真剣な感情で渡すみたいでなんだか嫌なのだ。
「これ……もらってください!」
ああ、まただ。誰かがチョコを渡してる。流香はうんざりとした気持ちでそちらをチラリと見た。
「……いらない。俺、あんたのこと知らないし」
「は……隼人?!」
思わず出てしまった声を引っ込めることもできず。こちらの存在に気付いた女の子が、泣きそうな顔で走り去っていってしまった。
告白されていたのは、探してもいないのに見つけてしまった隼人だった。
「……もらわないんだ?もったいない」
「欲しくもないもんもらえるかよ」
……感じ悪い。流香は目だけでそう言った。この日のためにがんばってる女の子がいったい何人いると思ってるんだこの男は。
「…私があげるのも、もらってくれないんだ」
わかってはいたけど、と苦笑いをこぼす。隼人は短い髪をいじりながら呟くように言った。
「卓哉に言われたからって俺に渡そうとしてんじゃねぇよ……」
なんだかハッキリしない返事にだんだんと腹がってくる。いらないのかなんなのか、よくわからない。
「……もー、いい」
流香はカバンを開けると、ピンクの包みを取り出し箱を開けた。
「……? オイ? 何して…」
「隼人がいらないんなら、もったいないから私が食べるの。いいでしょ、いらないんだから」
可愛らしい飾りがついたトリュフを手に取ると、急に手首を掴(つか)まれた。顔を上げると、隼人が眉間(みけん)にシワを寄せている。
「お前が食うぐらいなら俺が食――……」
「はい、コレ」
言葉をさえぎって反対側の手で差し出されたソレを見て、隼人はぽかんとした。流香の小さな手より小さな、10円サイズのチョコレート。
「……トリュフは、杏子が選んだやつだから。私が隼人にあげるならって選んだのはこっちなの。……私自身が、あげたいと思って買ったのは、こっち」
手のひらに落とされたチョコを驚いたように隼人は見つめている。
「きっかけは人に言われたからだけど。今、隼人にあげようと思ったのは私があげたかったからだよ」
昨日の夜言われたみたいに、誰かに言われたからあげたんじゃないんだと言いたくて。流香は大きくない声で呟いた。掴まれたままだった手が、離れていく。
「……卓哉とは、違うやつか?」
「だから今年は隼人以外あげてないんだって」
「お前が、俺用に用意したやつなのか?」
しつこいよと笑ったら、隼人は眩(まぶ)しそうに目を細めた。久々に見た気がする、表情。
「だからこのトリュフは私が食べてもいいの。もう隼人にはあげたんだから」
「俺には10円チョコなのにずりーだろそれ。一個くらいよこせって」
手を伸ばして小さなチョコを取り合いしながら、流香は楽しくなって笑っていた。
本当に、楽しくて。

「隼人に彼女ができるまでは、私がチョコあげるからね」
「……は?」
最後のトリュフを勝ち取ったあとに言うと、隼人はきょとんとした。
「好きとか、よくわかんないけど。隼人にはあげたいから」
笑いかけると、隼人が呆れたような顔をした。何か、変なこと言っただろうか。
「いや、いいんだ、わかってたことなんだ……」
急に元気がなくなった隼人を気にする事もなく、流香はトリュフを口に放り込んだ。

 

今年初めて食べた市販のチョコレートは、なんだか流香には苦かった。

 

*オマケ* (…お前さ、俺に初めてくれたチョコ、これとおんなじ10円チョコだったこと覚えてるか?)
(……え?)

 

fin
…………………………………………
長ぇ!!珍しく!!←
っていうか題名のビターにかけてトリュフが苦いんだろうけどさ!!本当にビターなのは隼人だから!!(泣)超かわいそうであり可愛い奴だよ…!!(え
すいません、あーいうキャラ好きなんです沙久←←←

某マンガで「小学生だって真剣に恋するんだよ」という主人公のセリフもありましたが…今回は中学生の自覚のない淡い恋心というわけで。こんなにもとぼけた子になるとは思いませんでしたが(^^; また違う漫画で、私が想定したチ〇ルチョコとは違う「10円チョコ」の可愛いバレンタイン話が収録されたのがあったな。あれ大好きだった。今回の話、どこかあれが心に残ってたうえでもものかもしれませんね。

ちゃんとリクに答えられたかわかりませんが、こんな感じで完結です。 リクエストありがとうございました!!^^

 

(2011/2/15 加筆修正)
沙久